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批判精神

ここんとこちょっと筆が鈍っている。何かについて書こうとすると、心理的ブレーキがかかる。で、ブログも間が空き気味。

実は劇場版「遥か」の感想を書いた後、抗議コメントというか、いちゃもんコメントというか、腹立ちを一方的にぶつけてくるコメントをもらい、その文面から受ける感じと「遥か」のゲームユーザーの年齢層から察するに、女子高生から20代くらいの若い子じゃないかと思うのだが、そういう年代の子と同じものを見ている自分の幼さに対する自己嫌悪と、自分の書くものは他人を不快にさせるものだったのかという落ち込みと(これで2度目だったし)、それにしたって呼ばれもしないのに勝手に来て勝手に読んどきながら、素性がわからないのをいいことに文句だけ吐き捨てて去っていく陰湿さへの怒りとがないまぜになって、ああもうブログってすぐ検索に引っかかって絡まれるんだからめんどくさっていう思いから、何かを書くにしても臆病になっちゃってたのだ。

こないだも、アクセス数がいきなりガンと上がって何でだろうと思ったら、イケメン俳優の名前をうっかり羅列したもんだから、検索で見つけて見に来てるのね。そんな期待するようなこと書いてまへんがな(^^;)

ブログって何か書くとすぐ検索に引っかかる。ブログ専用の検索まであるし。知らんかったわ。これじゃあ何か書こうとしても気になって、なかなか書けんわな。

気にするくらいなら検索よけをつければいいんだろうけど、人に読んでもらいたくて書いているブログだから、それも虚しいものがある。それじゃもっと人が不快にならないものを書けばいいんだろうけど、本でもアニメでもドラマでも何でも、心が動いたものはそれについて正直な気持ちを書きたい。

正直な気持ちと言っても、ここで問題になるのは褒めることじゃなくてけなすことだ。何についても褒めてる分にはあまり支障はないが、けなすこと、批判することについてはネットの意見を見る限り、風当たりがきつい。

いわく、

「自分が批判している対象以上のものを作れないのなら、文句は言うな」

「批判するくらいなら見るな」

「それを好きな人が不快になるから批判はするな」

「自分が批判している対象以上のものを作れないなら文句を言うな」という論法は、すべての評論活動を否定する言い方だ。だってエンタメ作品をホイホイ作れる素人はいない。言ってる方もそれがわかってて言ってるのだろう。つまりは相手を黙らせようとする言い方だ。

誰しも何かを見たら心が動く。動けば言葉にしたくなる。それを封じるのは思考停止しろと言ってるようなもんだと思うのだが。

「批判するくらいなら見るな」というのも言論封殺のひとつ。

「それを好きな人が不快になるから批判はするな」は、誰だって自分の好きなものにケチをつけられたら気分が悪いでしょう? だったら人のイヤがることはしないでおこうねということらしい。

もっともらしく聞こえるが、これには大きな勘違いがある。

自分自身と自分の好きなものがごっちゃになっているのだ。自分の好きなものをけなされたところで、自分自身をけなされたわけではないのに、多くの人はそれで自分を否定されたような気分になる。

そりゃ誰だって、自分の好きなものをけなされたらいい気はしないけど、それでも、ああこの人はそう感じるのね、そういう意見もあるのねとなぜ思えんか?

対象と同化しちゃってる。対象と距離が取れてない。

対象と距離を置くというのは物事を客観的に見るためには大事なことで、そうすることによって、製作者の下心に簡単に乗せられてしまったり雰囲気に流されてしまうということを防げるのである。

これはメディアリテラシーにつながると私は思っている。

それにしても、自分と考えの異なる意見を抹殺しようとする人のなんと多いことか。言論の自由を守る象徴的な言葉として、「私はあなたの意見に反対だが、あなたが意見を言う権利を死んでも守る」とかいうのがある。なかなかそんな心境にはなれんが、自分とは反対の意見を封じるようなことはしたらあかんと肝に銘じている。

だから、毒舌のくせに打たれ弱いヘタレな私ではあるけれど、これからも思ったことを歯に衣着せず書いていこう。まあ、ただの中傷にならんよう、書き方には気をつけんとあかんかなとは思うけど。

そんなわけで、ちょっと弱気になった自分に活を入れるべく、斎藤美奈子の評論を読んだ。

『あほらし屋の鐘が鳴る』


タイトルの「あほらし屋の鐘が鳴る」というのは、関西の言葉である。著者も上方の友人から聞いた言葉だと言っている。関西人でも若い人は知らないかもしれない。私はこの言葉、よく60代の叔母の口から聞いた。

「あほらしい」と言えばいいところをわざわざ「あほらし屋の鐘が鳴る」と言うのである。
ユーモラスで楽しい言い方だと思いませんか。

十数年前に発刊された本だが、古さを感じさせない。オヤジ文化や女性誌などをばっさり斬っているのが愉快痛快。ゲラゲラ笑って胸がスッとする。

毒舌だけど、分析が的確なのでただの悪口に終わらず説得力がある。そうか、こんなふうに言わんと共感されんのだな。

この人はものすごくたくさんの本を読んでいて、古今東西、いろんなジャンルのいろんな人の考え方に接している。だからこそ偏見や先入観を持たずに自由でいられるんだな。

人間、視野が狭いとあかんよなあ。
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