2017 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

宮城にボランティアに行ってきた その1

6月に宮城へボランティアに行った話をしよう。

主催はNPO法人。参加費は5千円とリーズナブル。

金曜の夜にバスで出発、土曜の朝現地着。土曜、日曜と現地で泊まり、月曜夜にこちらへ帰着。
2泊4日の強行軍だった。

ボランティアゆえ、自分でやることは選べない。すべて現地の要望に合わせて動く。
だから、瓦礫撤去をするとわかったのは、出発のちょっと前だった。

瓦礫撤去っすか;;;(゚Д゚||) 一番苦手な分野を。わし非力やねん。

などと弱音を吐くわけにもいかず。

ボランティアは自己責任と自己完結。
長靴、雨合羽、寝袋、非常食などを用意する。
一番困ったのはスマホの充電器。現地では電気も水もあまり使えないとのことだったので、電池式の充電器を買った。
結局、それでもバッテリが切れそうだったので、昼間は電源オフにしておいたんだけども。

うちは子供が小さいころにキャンプに時々行ってたので、寝袋もあるしアウトドアライフも少しは慣れてたんだけど、キャンプや登山に慣れてない人にはちょっと辛い生活だったろうな。

とはいえ、私も適応していたとは言えず、出発して5分で固い座席にお尻が痛くなった。かさばるリュックが網棚に入らず、足元に置いたので足がリラックスできなかったし。

100円ショップで買った、首に引っ掛ける枕とアイマスク、耳栓が安眠するのに重宝した。

黄色い布テープとマジックが回ってくる。名前を書いて胸に貼り、名札代わりにするらしい。

同行者は全部で30人ほどの老若男女。10代から70代まで。ボランティアは初めてという人から、数えきれないという猛者までいろいろ。ごく普通の主婦みたいな人が、震災の2か月後に自分で車を運転して被災地に入り、ボランティアをした、現地に入るのはこれで3回目という話をしていて驚いた。
やる人はやるんだわ。

途中何度かPAやSAで休憩がある。夜中の3時頃だったか、停まったSAでトイレに行き、ふと見上げると「磐梯山」という地名が読めた。
磐梯山・・・ってことは会津。福島。

しーんと怖くなった。
事故を起こした原発の存在が急に迫って感じられた。

そのあと、夜が明けて、最後に停まったPAのトイレで着替えや洗面、メイクを済ませた。

高速を降りて石巻市内に入る。一階の窓にブルーシートや板を張っている家がちょくちょく目に入る。
津波が来たところと来ていないところの差が激しい。
牡鹿半島に入る。山道を走っているはずなのに、木にボートが逆さになって引っ掛かっているのが見えて驚く。続けて津波に襲われて窓やドアが破られ、中がめちゃくちゃになったまま放置された一軒家が現れてギョッとする。

この家の人たちはどうしたんだろうか。

バスが浜に着く。作業に入る前にトイレに行っておきたいと、私も含めて女性たちが申し出る。が、ここから遠いところにしかトイレはないという。車に分乗し、公民館まで乗せてってもらい、トイレを済ませる。車を運転してくれた女性は別のボランティア団体の人で、福島から東京に避難しているとのことだった。

浜に戻り、そこからみんなで道路をてくてく歩いていく。道路から獣道を通り、崖下へ降りる。沢を通り、浜に出るとおびただしい瓦礫の山。魚介類を入れる発泡スチロール、木材、冷蔵庫や洗濯機などの電化製品、生活用品。
それらが絡まり、土に埋まりかけて散乱している。JRのコンテナまで流れ着いている。

まだ新しいお風呂マットがある。小さな男の子がいる家庭のものだろうか。働く車の絵がたくさん描かれている。幼児が乗る足で漕ぐ車もある。こたつ布団もある。生活の面影をとどめているものがいっぱいあった。

瓦礫の山


まずは発泡スチロールをと、その日は一日中、発泡スチロールを足で踏んで割って集めてビニール袋に詰めて・・・という作業をやった。
何百? 何千? 一生分の発泡スチロールと格闘した。

ゴミ袋がたまったら、みんなで並んでバケツリレーのように崖上までゴミをリレーした。崖上にはトラックがスタンバイしており、集積場まで運ぶらしい。

途中で何度か休憩を入れ、昼食はここへ来る前に石巻のコンビニで買ったおにぎりやパンなどを浜に座って海を眺めながら食べる。
今ここで津波来たらどうなんのかな~と思ったが、海はきれいだし静かだし、みんな笑ってるのでそれ以上は考えなかった。

砂浜だと思っていたら、おびただしい牡蠣殻が堆積している。昔、ここは貝殻捨て場だったという。見上げると何メートルも土と混ざって堆積して、そこから木が生えているのだった。

夕方、作業を終えてバスで宿舎へと。この宿というのがまた壮絶な姿をしていて、今は営業していない民宿をオーナーの好意で使わせてもらってるらしいんだけど、1階部分は前後から襲われた津波に持っていかれて枠組だけになっている。この2階部分に泊まらせてもらうことに。

宿


庭から前にある浜と瓦礫置場が見える。この瓦礫、処理が進んでいるのかいないのか、3メートルくらい堆積していた。この近くには家がほとんどなく、基礎だけが残っている。周りに雑草が生えているので、もとからそんな風景だったのかと錯覚してしまう。
近くには仮設住宅がある。テレビで見るより小さい感じがする。

「コンセントがあるけど、ケータイの充電とかしないでください」とリーダーの男性に言われる。そうだな、電気があるのが当たり前みたいに思ってたけど、好意で使わせてもらってる宿だもの、使っちゃいけないよな。オーナーはいいよと言ってくださってるらしいけど、そういうわけにはいかないよな。電灯がつかない部屋もある。そこは男性にあてがわれた。
リーダーは手作り(材料費10万円)のソーラー発電機を持ってきていた。これでちょっとは電気が作れるらしい。

トイレは使えず、外に仮設トイレが1基あるのみ。水をくんできてタンクに入れて使っているため、やはり使わない方がいいとのことで、使用済みペーパーを中に置いた段ボール箱に捨てることに。この状況は結構キツかった。便秘になっちゃった女性もいたほど。

部屋割りが済み、荷物を置いてバスでお風呂に行くことに。
仮設住宅の近くを通ると、おじいさんが嬉しそうににこにこしながら私たちを見上げていた。小さな子供をつれた若いお父さんは、こちらを見てちょっと会釈をしてくれた。

感謝とか求めちゃいけないと思うけど、でも、少しでも私たちボランティアが来るのをうれしいと思ってもらえたらうれしい。
私が現地にボランティアに行こうと思ったのも、微力でも役に立てたらと思ったことが一番大きいけど、こうやって姿を見せることで、あなたたちのこと忘れてないよ、あなたたちの役に立ちたいと願っている人間がここにいるよってことを伝えるためでもあった。

恵まれた場所から他人を助ける余力のある恵まれた人間が来て、自己満足なことを少しやって、また恵まれた場所へ帰っていく。
そんなふうに言われたら確かにそうかもしれないけど、でも、自己満足だとか偽善だとか、そういうことをぐだぐだ考えだしたら堂々巡りからは抜けられない。そして、そんな堂々巡りをやっていられるほど人生は長くないのだ。

などと考えつつ車窓から外に目をやると、道路脇の草地に鹿が5~6頭。なに!? 飼ってんの!? と思ったが、どうやら野生の鹿らしい。

途中で島唯一のコンビニに寄って飲み物など買う。このコンビニ、18時閉店だそうで・・・ってコンビニちゃうやん(^_^;

駐車場に文字が書かれている。なんだろうと思ってよく見たら、「日赤病院へ 出産HELP」
震災のときのだ。
駐車場のメッセージ


お風呂は山のてっぺんにある県の保養施設の中にあった。ふんだんにあふれるお湯。泡だつボディシャンプー。勢いよく流れるシャワー。眺めのいい広い浴場。極楽極楽。
作業中の、または宿での生活と比べたら、ジャングルと都会の暮らしの差っていうか、ああ、こんな贅沢な生活を今までしてきたんだな~って思う。

お風呂を出て、併設している図書館で河北新報を見ると、震災で人家が減って鹿が人里に出没していると、まさにさっき見た風景そのものの写真が載っていた。

集落跡に鹿


宿に戻ってみんなで夕食の支度。滞在中、すべての食事はアウトドア。漁師さんが作業小屋の台所を貸してくれたり、獲った魚をふるまってくれた。

夕食が終わり、部屋に戻って寝袋に入って寝る。東北だから寒いかと思ったが(実際、外での夕食は長袖Tシャツでも寒かったが)、寝袋は意外と暑い。
窓からは前の浜と瓦礫置場が見える。大きな余震が起きたらイヤだな~、津波来たらどこに逃げんのかな、とここでも思ったが、楽天的に寝た(帰るときにスタッフの一人が「避難経路を教えるのを忘れててごめんなさい」と謝ってた。ははは;)。

その2につづく。
スポンサーサイト
[ 2012/08/18 ] オタクなハハの日常 | TB(-) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する











上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。