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命の授業

女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か?

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130305-00000306-bjournal-bus_all

福岡県立筑水高等学校の真鍋公士教師が16年間も行っているという、自分で育てた鶏を殺して食べる「命の授業」の話がYahooニューストピックに挙がっていた。

以下、引用。
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このクラスでは食品流通科一年生の授業として毎年「命の授業」が行われている。鶏の受精卵を生徒一人ずつが飼育し、成長したそれを自らの手で解体し、食べるのだ。命の尊厳を肌で感じる授業はメディアにも取り上げられ、文部科学大臣奨励賞を受賞した。

 だが、一方で批判もある。

 学生にそんな残酷なことをさせなくても、という意見だ。しかし真鍋先生には直接体験することでしか伝えられない教育がある、と確信している。でなければこのような授業を16年間も続けられるはずがない。三カ月の最後、生徒たちは二つの選択を選ぶことになる。工場に出荷するか、自らの手で解体をするか。受精卵に名前を付け、愛着のある「子」を自らの手で「殺す」のには並大抵の覚悟ではないはずだ。
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引用終わり。


悪趣味な教師だな、というのが私の第一印象だった。

鶏の受精卵を一個ずつ与えられた生徒は、その卵に名前をつけ、愛情こめて育て上げたあと、自らの手でナイフを使って鶏の首を切り、殺す。そのあと、解体して食べる。

仕入れた鶏を殺し、解体して食う、だけではいけないのか。

わざわざ愛着が生まれるよう仕向け、家族同様の存在になったあとで、その動物を自らの手で殺させる。それは余計な脚色だろう。

生徒が殺すのはもはや家畜ではなくペットだ。
愛着のあるペットを殺す葛藤や苦しみを味わわせることが、命の大切さを感じさせることだと言うなら、あまりにも安直ではないだろうか。

人は家畜は殺して食べるが、ペットを殺して食べたりはしない。

命を選別していると言われるかもしれないが、食べる命と愛玩する命があるのは厳然たる事実だ。その事実を踏まえた上で、人は少しでも無駄な殺生をしないで生きるようにすべきではないのだろうか。

家畜としての鶏を殺すだけでは生徒に命のかけがえのなさが伝わらない、だから愛するものの命を奪わせるのだと考えているとしたら、それはずいぶんと子供の感受性をみくびったものだと思う。
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[ 2013/03/05 ] オタクなハハの日常 | TB(-) | CM(0)